萌芽














「重綱、成実を呼んで来なさい」

政宗と2人で何やら書面に向かって難しい顔をしていた小十郎が、控えていた重綱を呼んだ。

「はい」

重綱は静かに答えながらも、内心非道く嬉しかった。
政宗付きの小姓になってから数日、初めて役目らしい役目を与えられた瞬間だった。
特に父である小十郎からものを頼まれるなど生まれて初めてに近い。

重綱は密かに喜びを噛み締めながら、控えの間にいる成実を呼びに向かった。

「失礼致します」

声を掛けてから障子戸を引き、面を伏せた。

「藤五郎様、殿がお呼びです」

言って顔を上げた重綱の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。

「あの、藤五郎様は…」

成実がいなかった訳ではない。
だが、そこにいた成実は重綱が戸惑うには十分だった。
半ば途方に暮れた重綱に、側にいた綱元が何でもないことのように、

「あ、うん。寝ちゃった」

簡潔でそれでいて適格な報告をくれた。
何でも、手持ち無沙汰で待っている間に船を漕ぎ出したのだという。
今も重綱の目の前で、器用に、と言っては何だが、傾いだ体のまま居眠りを続けている。

自分の口出しするべきことではないが、これは成実の大変な落ち度ではないだろうか。
心配になった時、またも綱元が平然と言った。

「そんな顔しなくてもいいよ。よくあることだし」

「大丈夫なんですか?」

「うん?ああ、殿にバレたらすっごい怒られる」

表情も変えず、当たり前のような口調の綱元に、軽い目眩を覚えた。
人一倍礼儀に厳しい政宗相手に、怒られるで済むものだろうか。

だが、またしても当たり前に言った綱元の言葉に我に返る。

「左門、シゲを呼びに来たんじゃなかったの?」

「あ、はい」

役目を思い出し、申し訳ないが起こしてくれないか、と頼んだが、綱元の返事はあろうことか、

「え?やだ」

断固とした拒否だった。

「…こ、困ります」

本当は悲鳴でも上げたい心境だった。
しかし、仮にも重臣の前ではそれも出来ず、精一杯の意思表示だった。

「だって寝起き悪いんだよ、シゲって」

だが重綱の精一杯も、その軽い一言で押し返されてしまった。

「あ、そうだ。こっち来て自分で起こしてよ」

この人は何を言っているのだろう。
正直な感想だった。
半人前な自分をからかっているとしか思えなかった。

ところが綱元は終始無表情なままで、自分の考えが正しいのかも分からない。
政宗をこれ以上待たせる訳にもいかない。

綱元がどこかおざなりに手招きするのに応えて、成実の側に寄った。

「藤五郎様、起きてください」

反応はなかった。
遠慮などしていては埒が明かない、と肩に手をおいて揺する。

「殿がお呼びです」

成実は「う」と「あ」の中間のような言葉にならない声で何か呻いた。

「藤五郎様!」

「あー…左門?」

ようやく薄く目を開いた成実はそれだけを言って眩しそうに目をしばたかせた。

そしておもむろに手を伸ばし、重綱の腕を掴む。
重綱が何かを問う間もなくそのまま引き寄せた。
突然のことで抵抗も出来ずに重綱はそのまま成実の膝の上に倒れ込む。

「と、藤五郎様!?」

そして、わしわし、と乱暴に重綱の頭を撫でると、身体を抱え込んで動かなくなった。
どうやら再び眠ったらしかった。
抱え込まれた重綱の方は何が起こったか咄嗟に理解出来ずにされるままになっていた。
しかし、すぐに状況を把握して腕から逃れようともがく。

「藤五郎様!放してください!」

が、それも徒労だった。
一向に目を覚ます気配がない上、とても敵いそうにない体格差がそこにはあった。

今度こそ本当に途方に暮れて、元凶とも言える綱元に視線を向ける。
目が合った途端、綱元は吹き出した。

「綱元様!」

「や、ごめん」

謝ったそばからまた吹き出し、とてもではないが申し訳ないと思っているようには見えなかった。

「完全に寝ぼけてるね、こりゃあ」

笑いを噛み殺しながら言う綱元に向ける目が恨みがましくなるのは仕方がない。
綱元が理解に苦しむ人間だと人伝に聞いてはいたが、今初めてその意味が分かった気がした。
どうせ駄目だろうと諦め半分でもう一度脱出を試みたが、予想通りびくともしない。

「助けてください、殿…」

小十郎に助けを求めても、まず自分の迂闊さを諭されるだろう。
この状況を即時解決出来るのは、もはや政宗だけに思えた。

それにしても、たったこれだけの役目も満足に果たせないとは。
自分が情けなくて仕方がなかった。

その時。
ごっ、という何かを殴るような音と、

「いい加減起きやがれ!」

怒鳴る声が同時に聞こえて、次の瞬間には成実の腕の力が緩んだ。

「てめえ、何しやがる!」

怒鳴り返している隙に、慌てて腕から逃れ出た。

見れば、成実は頭を押さえて左馬助と睨み合っていた。
してみると、どうやら左馬助が成実の脳天を殴り付けたものらしい。
助かったと言えば助かったが、左馬助の何とも荒っぽいやり方に少しだけ成実が気の毒になった。

「大丈夫ですか?すごい音がしましたけど…」

「左門お前、誰のせいであんなことになったか忘れたんじゃないだろうな。
 こういうのを自業自得って言うんだよ」

言われてみればもっともだ。

左馬助はさらに、

「鬼庭殿、アンタも悪ノリしすぎでしょうが。いい大人がガキからかって…」

やはりからかわれていたのか。
知らず、重綱の口から嘆息が漏れた。

それにしても、言うなれば重臣中の重臣である綱元に意見するなんて、
左馬助は見掛け以上に気骨がある人物らしい。
というのも、その身なりを政宗に注意されているのを見かけたことがあったのだ。
それ以来、左馬助に対してあまり良い印象を持っていなかったのだが、
人を見かけで判断してはいけない、とはよく言ったものだ。
重綱は少し左馬助を見直した。

「だって、あんな面白いこと放っておけないでしょ」

もっとも、綱元にとっては馬の耳に念仏という風情だが。
ひょっとしたら、政宗相手でも同じ態度なのかもしれない。
あまりの悪びれなさにそう思う。

「…っ痛えな…てめ、後で絶対シめる」

「自業自得って言ってんだろ。オレにキレる前に左門に謝っとけ」

呻いた成実に左馬助はぴしゃりと言った。

「何をだよ」

「……え…?」

ほんの一瞬だったが、場に奇妙な沈黙が流れた。

「あれ?覚えてないの?」

「だから何が」

成実は、本当に何が何だか分からない、という顔だった。

「本当に寝ぼけてたのか…残念だったね」

つまらなそうに綱元は言ったが、後半は重綱に向けての言葉だった。
だが、何のことか分からず重綱は首を傾げた。
ようやく人心地付いてほっとしたような反面で、一瞬正体の分からない寂しさがよぎったような気はするが、
だからと言って、それが残念ということと一致するなどとは思えなかった。

「さっさと殿んとこ行って来い!」

左馬助に急かされる成実を見て、曖昧な気持ちのまま重綱も立ち上がる。

すると、後ろから袖を引かれた。
振り返れば、綱元が耳を貸せ、と仕草で呼んでいた。
嫌な予感がなかった訳ではないが、とりあえず従ってみる。

「調子に乗ったお詫びにイイ事教えてあげようか」

「…良い事?」

「ああいう時の行動って、案外、本当の心の表れだったりするらしいよ」

ああいう時、というのは寝ぼけている時、という意味だろうか。

「本当の心?」

聞き返した重綱に向かって、綱元は初めてにこりと笑った。

「そう」

それは一瞬分かりかけたような気がしたが、すぐ思考の霧の中に消えていってしまった。
いくら探そうとしても、見失ってしまえばもう掴まえることは出来なくなっていた。

「しょうがねえ。行くぞ、左門」

もう廊下に出ていた成実が、振り返って重綱を呼んだ。

「は、はい!」

「あー、もう、面倒臭ぇな」



「???」



成実と並んで政宗の元へ向かいながら、訳も分からないまま顔が熱くなってくるのを止められないでいた。





















<ホウガ>

成実×重綱なようなそうでないような。
実は政宗達が話し合っているのは朝鮮出兵のことなので、左門は8歳あたりですか。若い。
萌芽=めばえ。つまり、そういうことです(何)

リクエストくださった方、有難うござました(お気に召していただけるかどうかは甚だ心許ないですが…)
おこがましくもフリーですので、煮るなり焼くなりご随意に。

2006.06.09up